Chance Favors the Prepared Mind

備えあれば好機あり

MORI LOG ACADEMY 5(森博嗣)

「目指す」という 言葉があって、たいていは希望的な、前向きな、積極的な、良い意味で使われている。「~を目指して頑張ります」というもの。目指す対象は、つまり目標というか、到達点の1つとなる。それはそれでけっこうなことだが、僕の見た範闘で感じることは、目指していると大したものにはならない、というやや悲観的な結果である。目指すというのは、結局のところ「良くてそこまで」という限界を最初から決めているような行為だからかもしれない。
「目標を高く 」なんていうのも、よく耳にするが、「到達できなくても良いから」という甘えが最初からある。それは逆であって、目標はできるだけ低く見積もるべきだ。そして、そのハードルを円々確実にクリアして前進する、という方が良いのではないか。

 

MORI LOG ACADEMY 12(森博嗣)

「ああ、こんな生活していて良いのだろうか、まあ、今日 はいいんだけれど、将来が不安だな」と感じている人は多いと思う。その予感は正しい。そんな正確な予測ができる人が、どうして自分の感覚を信じないのだろう。それは、確率的に極めて低い「そのうち、なにか幸運が舞い込む」という期待を持っているからなのか。だとしたら、自分の人生を宝くじに賭けているようなものだ。宝くじよりも作用倍も成功率と期待値が高いのは、ごく普通の「勤勉」である。

人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか(森博嗣)

■世間には、自分の思いどおりに生きられない人が沢山いるように観察される。口でそう言っているだけで、本当かどうかはわからないけれど、少なくとも「毎日が楽しい」とか、「こんな幸せはない」というふうに語る人は、どちらかといえば少数だ。
 どこでこの差が生まれるのか、と考えてみると、それは運とか収入とか、そういったものではなく、究極的には、その人の考え方なのだと思う。考え方が全ての基本なのだ。だから、現実がどんな状況であっても、肉体がどんな状態であっても、思考は自由であり、いつでも楽しさを生み出すことができるはずである。ただ、現実や肉体といった具体的なものに囚われ、縛られ、不自由を強いられているのである。そこに気づけば、少し気づくだけで、ふっと気持ちが軽くなるだろう。

 

MORI LOG ACADEMY 13(森博嗣)

■次に考えることは、希望を実現する手法、そして問題を解決する手法だ。どれくらいの作業になるか予想し、期間を見積もって、今日できることをまず始める。今日はできない、というようなことは滅多にない。なにかはできる。こういうふうに前進をしていくこと。できないこと、悩んでもしかたのないことで時間を取られるよりも、少なくとも建設的だし、こうして前進することで、状況が好転することがままある。
つまり、止まっていたから不可能に見えたことが、あるとき可能なものに変わることがあるのだ(それを期待してはいけないが。

 ■マラソンの選手には誰もかなわないが、 普通の人でもなんとかあの距離を走るか歩くかすることはできる。1日かけて、あるいは2日かけても良い。できないことではない。競技やテストになれば落第するかもしれないが、「私は駄目」と顔を背け、諦めてしまうほどのことはそうそうない。算数がわからないのは、最初に少し時間をかければ良かったことを自分から諦めたからではないのか。 9秒台で走れなくても、誰でも 100mを進むことはできる。|時間には関係なく、成し遂げる仕事としては同じなのだ。才能の違いなんて、その程度、つまり数秒間の差である。それよりも、「私は走れない」と諦めてスタートもしないことの方が大きな差になって表れる。